活動レポート

2016/10/18長岡市長選挙を終えて

この度の長岡市長選挙におきましては31529票を頂きましたが敗れました。

 

まずは貴重な一票を私に投じてくださった長岡市民の皆様に感謝申し上げます。そして貴重な一票を活かすことが出来ず大変申し訳ありませんでした。

 

4年間準備をしっかりと行い、市長選に臨むという計画は一気に圧縮され、残念ながら不本意な戦い方を強いられました。

 

そんな中、今回頂いた票は前回と違い批判票ではなく、私への信任票であり、政党や市議の支援が皆無の中で3万人超の方々から支持頂けたことを嬉しく思います。

 

一方、今回も前回同様の草の根選挙で臨みましたが、前の選挙で知名度が上がっているにもかかわらず、新人同士の戦いでダブルスコアで敗れたことは、極めて重く受け止めております。

 

磯田新市長が堅実な市政運営をされている限り、次回市長選の機会が来ても、今回の布陣と「格段の」違いがなければ勝負になりません。

 

三度目の正直という言葉もありますが、支援者のご意見を十分に受け止め、あらゆる可能性を模索しながら今後の活動を続けてまいります。

 

以下に今回の戦いを振り返って少しばかり心境を書き綴らせていただきたいと思います。

 

 

◆原発に関すること

 

私は2011年のブログ記事(http://ow.ly/rh8l305fB7v)で、福島原発事故の本質は津波による電源喪失であり、それを改善すれば国益の観点から原発を使うべきと意見発信しました。

 

また2013年の柏崎刈羽原発の即時廃炉請願に対し、請願の論理組み立てがあまりにも一方的な見地からなされていたため、反対討論(http://ow.ly/9vBk30g3msz)を行いました。

 

今回の市長選挙においては多くの市民と意見交換する中で、体感として柏崎刈羽原発の再稼働を8割超の方々が嫌悪していることを知りました。

 

これは泉田知事の降板表明後、日頃の会話で頻繁に話題になったからです。

 

私のこれまでの議論は天下国家の観点で、結果として地元目線が足りていなかったと自覚しています。

 

当時、東電の体質はよく分からず、福島の事故がここまで収束に時間がかかるとは予想できませんでした。

 

長岡は立地自治体ではないので、原発に強く触れる必要性も感じていませんでした。

 

ですが市長には市民の思いを代弁し発信する義務があり、今回の状況を踏まえ、全市民の代表者として、再稼働反対を公約として掲げたわけです。

 

今回の選挙で選ばれていたならば、当たり前ですが公約は任期の最後まで守る覚悟でした。

 

しかし正直に申せば、世界を俯瞰する視点で国益を損ねてよいのかという気持ちと、市長として住民感情を大事にしたい、安心を担保して差し上げたいという思いの、葛藤を常に感じていました。

 

そういった複雑な心境のなか、最大限に市民に寄り添いたいという思いであったことをご理解いただきたく願います。

 

また私の考え方も技術革新に期待しながら時と共に変化を続けています。

 

たとえば、メタンハイドレートのような自給できる資源で原発の代替ができるか研究し、国富の流出を抑えられるよう、国策として取り組んで頂きたいと思います。

 

 

◆市長選に立候補すること

 

今回の選挙は前回の選挙同様、いま長岡で取り組まなければならないことに、待ったなしでリーダーシップを発揮しなければ長岡の未来は暗い、と思って立ちました。

 

この思いは本心からのものであり、選挙に勝てなさそうだから出ないとか、手を挙げる順番がどうのこうのとか、建前論とは別次元の行動でした。

 

それに共鳴してくださった方が3万人超いらっしゃったわけで、大変うれしく思います。ですが敗れました。

 

当選された磯田氏は6万票超えであり、この差を埋めるには単純に今の延長線上の努力だけでは及ばないでしょう。何が足りなかったのかよく検証する必要があります。

 

振り返れば磯田氏は森民夫さんの要請で、小熊氏は澤先生の要請で、また知事選で森氏は自民党の要請で、米山氏は野党連合の要請で立たれました。

 

私に決定的に足りないのはこの誰かの要請が欠落しているところであり、それがここ長岡においては大変重要な要素であることが良く分かりました。

 

私の信念+他者からの要請、これが実現できなければ長岡においては失敗の繰り返しになるでしょう。

 

失敗を糧に更に精進してまいります。

 

 

以上、最後までお付き合いくださいまして有難うございました。

 

皆様のお陰で選挙戦を最後まで戦い抜けたこと、本当に感謝いたしております。

 

どうも有難う御座いました。

 

藤井盛光